今回は「ひたちの果樹園」の島村さんにインタビューをしてきました。
もともと金融関係の仕事から、みかん農家になったきっかけや思いをしっかり聞いていきたいと思います。

こんにちは。
本日は宜しくお願いします。
まずはお名前をお聞かせ下さい。

ひたちの果樹園の島村です。

生まれはどちらなんですか?

ここなんだよ。
桜川市だね。
で、東京に家があったのね。
その家を処分して、Uターンしてきたの。

いつくらいにUターンしたんですか?

60歳の時かな
定年になってからUターンしたんだよね。

それは何年前くらいですか?

それが10年前くらいだね

となると今の年齢は・・・
70歳くらいですか?

んー?まぁそんなもんだけど・・・(笑)

あれ?言いたくない?(笑)

(笑)

お仕事は何をされていたんですか?

仕事はずっと金融系だったよ

それでは畑とは全く無縁な感じだったんですか?

そうだね。
金融の世界って激しい世界だったから、反対の世界に飛び込みたいという気持ちがあったのよ。
パソコンも捨てて、光もネットワークも捨てて帰って来たんだよね。

なぜ帰って来たんですか?

なぜって言われたら困るんだけどよ。
大学卒業して、そういう熾烈な世界に居続けるのも結構キツイんだよ。
そこで定年まで365日仕事してたからね。
土曜も日曜も関係ないからね。
そんな所で定年まで働くと疲れちゃうっていうのかな。
都会での生活にね。

もうのんびりしたいってのが本音なんじゃないかな。
転勤族で20年くらい単身赴任だったのもあったり、妻とも離れ離れの時期が長かったのよ。
今は彼女も自分のやりたい事を、俺もやりたいことを、一緒に暮らしながら出来ているのが、凄く良いんだよね。

お話を聞いていると、愛妻家な一面があるように思います。
仕事の忙しさで、家族と一緒に居る時間が少なかったと話していた島村さんですが、現在はお互いを尊重しながら良い生活を送っていると話されていました。

こちらの土地は、お借りしているんですか?

草刈りとかも大変だからね。
使ってよ~って言われたりするんだよ。
ここをちゃんと畑として使えるようになるまで3年くらいかかったよ。


ゆっくりと時間をかけて畑を作ってきた島村さんですが、みかん栽培をするにあたり「夢」があったようです。

なぜみかん農家をしようと思ったのですか?

みかんを作るってのが小さい時からの「夢」だったのね。
少年時代に修学旅行で熱海のみかん畑を見て、同じ日本でもこういう風景があるんだなって思ってね。ショックを受けたんだよ。
えー?同じ日本で山にみかんが成っているって。
そりゃ本とかでは見た事あったんだけど、生で見たのは初めてでね。

新幹線から見たんだけど、そりゃもう「ワーオ!」ってはしゃいだのを今でも鮮明に覚えているよ。いつか自分もこういうものをやってみたいって何十年も思っていたんだよね。

その思いが定年前に更に膨らんだ感じですか?

そうだね。
定年してからすぐに農林課行って、認定農家の資格を申請して、承認もらったんだよね。

これがまた大変でね。
農林省から目標が定められるんだよ。
それが5年後に年収500万っていう訳

そんな目標とかを定められるのですね(汗)

50万取るのもやっとだったよなぁ。
みかんなんてそんなさっさと大きくなるもんじゃないよなぁ(笑)

一回全部枯れた経験もあるしなぁ・・・

えー!どうしてですか??

単純に寒いんだよねここ。
下手したら風が吹いてマイナス10℃とかになんだよ。
今は屋根があるからなんとか生き残ってるけど最初はさ、知らずに植えて、夏とかなんて立派に育っていくのよ。

こりゃーいいのが出来るぞー!なんて思ってたら、その冬に全部枯れたんだよなぁ。
あれは悲しかったよ~

で、ここ数年で思っているのが、落葉樹なら屋根なくてもいけるんじゃないかと思って、桃とかりんご、サクランボにもチャレンジしてるのよ。
これは妻と食べるくらいでしかやってないけどね。


島村さんと話していると、勉強家なのが良くわかります。
失敗も繰り返しながらここまでやってきたんですね。
そして島村さんは桜川市のふるさと納税の返礼品で「ほしいも」も出しているんですよ。
その話も少し伺いました。

島村さんは返礼品でほしいもを出していますよね。
なぜ作り出したのか経緯をお聞かせください。
まずは何年前からほしいもを作り出したのですか?

3年前くらいかな。
作ってる大学時代からの友人がいるのね。
その彼も大手銀行の重役だったんだけど、同じような事してた奴なんだけど、盛んに進めてくるわけ。
ほしいもやれって(笑)
何回か言われてて、めんどくさそうだなって思ってたんだけど、しつこく言うからやってみたの。

その友人は5年やったら辞めるって決めてたらしくて、去年辞めたみたいなんだけど「島村やれよ、交代だ」って言われてさ。
彼に貰って食べてたのが美味しかったのもあって、ほしいもってこんな美味しいんだって思ってはいたんだけど、買うと高いからなぁ。
どうせならやるかってなったんだよね。

作り方でこだわりはありますか?

こだわりって言うか、うちでは「寒ざらし」をしていて、夜中も風に当てて5日間このままの状態で管理しているのよ。

そうなんですね。
管理が大変そうですね。

最低でも40時間干すんだからね。
何やっても大変だよね。
ふるさと納税にも使われている島村さんのほしいもですが、まず商品の見た目が可愛いです。
そして中に入ってるほしいもは寒ざらしでカラカラになっているほしいもが少し水分を含んでいい感じの固さになります。
2024年1月現在では、加波山市場で販売しています。
皆さんお手に取ってみて下さいね。

ところで畑はどうやって耕しているんですか?

耕運機だね。
果樹園はトラクターが入れないから管理機じゃないとダメだね
土も柔らかくし過ぎたらダメだしなぁ。

ここの面積はどれくらいですか?

約3反だね
30aくらいかな。
島村さんの畑は現在色々な果樹が植えられていて、見ていて楽しくなります。
そんな島村さんに今後の夢などもお聞きしてみました。

これからの夢とかありますか?

みかんの収穫量を1tにすることかな。
一番の夢はこれかな。
違う場所にもみかんの木はあるんだけど、合わせて150本でちゃんと成ってくれれば約1tになる予定なんだよ。

それが一つの目標だよな

ビジネスには結局一発逆転ホームランなんて事はないんだよ。
地道にコツコツやっていかないとね。
積み重ねのプロセスで間違った方向に行かないように日々勉強だね。
金融系をやりきった方が「地道に」という言葉を使う事に意外な印象を受けました。
全く知らない世界だったので、もっと派手な世界だと思っていましたが「ビジネスは人だ」とおっしゃっていました。
スタンドプレーでは結局上手くいかないんだともおっしゃっていました。
言葉に重みがあるなぁと感じます。
ここでほしいものセールスポイントを聞いてみました。

ほしいもを売る為にセールスポイントをお聞かせ下さい。

乾燥芋というのがうちのほしいもなのね。
ちょっと見た目を良くして、みずみずしく作り、真空パックして目方を重くしているほしいもが多い中、うちのは昔ながらの製法で寒ざらしの天日干し5日間。
夜も納屋にしまう事をせず、常に風に当てているやり方を取っています。

それだとパッキパキになりそうですが、あまりパキパキになってないように見えますね。

干し終わった後はパキパキなんよ。
だからそのまま出荷する事はないの。
そこから袋に3日ほど入れて、養生させて製品が完成する。
じゃないとパキパキだから。

本当はパキパキ状態から10日くらいすると食べごろになるの。
作ったときは黄色なんだけどしばらくたつと、「アメ色」になるので、そこが食べごろです。
さらい置いとくと黒くなってしまうから「アメ色」になったら食べてほしいと思います。
まとめ


いかがでしたか?
話していると物凄いこだわりと情熱を感じます。
みかんにもほしいもにも向き合っている島村さんには感服です。
みかんに対するこだわりはジューシーさを残す事を意識していると話されていました。
12月にはみかんを。それ以外の時はほしいも。
そして他の野菜や果樹を育てながら、自給自足を楽しんでいる島村さん。
東京で働いている頃は目立っていたから、今は目立たないように静かに生活したいと言われていました。
色んな人生感を聞けたので、とても良い勉強になりました。
島村さん、ありがとうございました。